無外流の流祖、辻月旦が或る日忽然と悟りを開いた「開悟」と「偈」について、第11代宗家 中川士龍先生は著書「無外真傳兵道考」の中に以下のような記述があります。
《二十六才で江戸に来てから、彼(辻月旦)は怠らずに吸江寺の石潭禅師の許にかよった。三十二才の時、延宝八年六月二十三日に禅師は遷化された。この六年間の参禅と中国古典の勉強は、精神的に非常に進歩せしめたのであった。引き続いて第二世の神州和尚について参禅し、兵内(辻月旦)四十五才の時であったが、ある日豁然として開悟したのでった》
ここに至って、月旦は神州和尚から石潭禅師の名において偈を授けられました。偈とは仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもののことを言います。授けられた偈は以下の内容でした。
<読み>
一法實無外 一法ハ實に外ニ無シ
乾坤得一貞 乾坤ニ一貞ヲ得
吹毛方納密 吹毛方ニ密ニ納ム
動着則光清 動着スレバ則チ光清シ
この偈の意味について、臨済宗の禅僧で山岡鉄舟ゆかりの高歩院で住職を務め、自らも直新陰流を学んだ大森曹玄老師はこう解説しています。
一法實無外 《一即ち絶対の真理とか真実の道とか、いわれるもの以外のものは何もない、凡ては、この一即ち絶対の表れたものである》
乾坤得一貞 《天地乾坤の大と雖も、この一なるものによって、初めて動揺のない、即ち万古不動の正しさ(貞)を得ているのである》
吹毛方納密 《その一なるものは毛を吹きつければ即座に切れるような吹毛の剣の鋭をもっているが、これは何処にあるかといえば、わが方寸の心(密)に中に収められている》
動着則光清 《然も夫れは、僅かに動く時は、その清々しい光輝が燦然と輝くものである》
【中川士龍先生が遺された気韻・気勢の教え】
無外流兵道は形の中で「気韻」「気勢」を特に貴びます。これについて、第11代宗家 中川士龍先生は漢詩の形で後代に遺されました。
<姿 勢> 富嶽聳東海 (富嶽 東海ニ聳ヱ)
<抜き付け> 怒濤砕巌礁 (怒濤 巌礁ヲ砕ク)
<斬り上げ> 竜巻揺星辰 (竜巻 星辰ヲ揺ラシ)
<斬り下げ> 飛瀑轟地軸 (飛瀑 地軸ヲ轟カス)
<刺 突> 疾風倒巨木 (疾風 巨木ヲ倒シ)
<残心納刀> 火山止鳴動 (火山 鳴動ヲ止ム)
現代語で解釈すればこうなるでしょうか。
居合の形を業じる前の姿勢は、端然として均整がとれ、前後左右どこから見ても、ゆったりとした中に隙のない状態でなければならない。駿河湾に聳える富士山が和やかな美しさを有しながらも、他の山には決して見られない気品があって我等に迫るのと同じである。
いざ刀を抜き付けていく時は、一挙に敵を粉砕する気持で行う。ちょうど大会の荒波が厳礁を砕くほどの勢いで押し寄せる様を想像すれば良い。
敵の右脇から左頸動脈に向かって抜き打ちで斬り上げる動作では、星すらも動揺させるほどの竜巻が大空に向かって巻き上がるの同じようなの勢いと気合が大切である。
斬り下げは、真向斬りであれ袈裟斬りであれ、いずれにしても天際から落ちて地軸を轟かすような滝のしぶきを思い浮かべて刀を振り下ろさなければいけない。
刺突に際しては、高層楼閣や巨木を薙ぎ倒すほどに強い一陣の疾風が吹き過ぎるのを想起し、敵の胸または腹部に向かって鍔はおろか拳までも突き込む気持ちで行えば必ずや気迫ある突きが出来るであろう。
技を終えた後の残心納刀は、目前に倒れた敵に続く第2、第3の敵に備え、いつでもこれに応じ得る心構えを以て静粛に行う。それは活火山が一時鳴動を止めるものの、いつ何時、再び噴火するか分からない状態と同じで、静かな気迫を備えていなければならない。
目くらましや外連など邪まなものを排した「絶対真理」ともいえる正しい技の理合を学ぶと同時に「気」を大切にし、それぞれの動作や場面に応じた気構えを維持して稽古する――流祖以来、脈々と受け継がれてきた無外流の伝統を、後世へ大切に伝えていく、それこそが「無外眞傳」の「眞傳」が意味するところなのでしょう。